1999/03/22

『DAIBAッテキ!!』スタジオ観覧抽選に…

 最初にこのページを開いてくれた人、初めまして。他のページを読んでからこのページに来た人、また会ったな。Ke1goです。
 僕はヲタク野郎です。今までにハマったものと言えば『ときめきメモリアル』(注1)とか、『Piaキャロットへようこそ!!』(注2)とかあるんだけど、ま、どうでもいいか。
 最近は、ちょっと田中麗奈ちゃんにハマってたんだよね。なぜ過去形かは後々分かるという事で、田中麗奈、知る人ぞ知るあの“なっちゃん”(注3)だ。可愛いじゃないの。最近気付いたんだけど、僕って、セミロングへアーフェチなんだよね。だから、あーいう髪型の女の子にすぐなびいちゃう。内山理名とか虹野沙希(注4)とかね。
 話を戻すと、麗奈ちゃんの写真集早く出ないかなぁ(注5)なんて思ってるんだけど、なかなか出てくれないな。どういう事だよ。今年中には出るんだろうか。楽しみだなぁ…なんて期待して待っている所に、また僕の胸をときめかせた女の子(注6)が目の前に現れた。
 その娘の名は…下川みくにちゃん

 1999年3月8日。
 前々から知り合いの人が「『DAIBAッテキ!!』(注7)面白いよ、チェキッ娘(注8)可愛いよ」なんて言うもんだから、どれ程のものかと見てみたのだが…………ハマった
 あのスタジオの雰囲気。昔、金月真美と長沢ゆりかのジョイントコンサート(注9)に行った時に体験したあのヲタッキーな空気。そして何よりも、チェキッ娘が可愛い。で、「チェキッ娘可愛いなぁ…」なんてしばらく見ていると、一人の女の子が目に付いた。それがみくにちゃん。
 1980年3月19日生まれの19歳(注10)。ひとつ年上か。麗奈ちゃんと同じだな。ま、それは置いといて、髪型がセミロング。そんな事はどうでもよい。可愛い。
 それからというものの、僕は毎日ビデオに録画した(注11)。みくにちゃんにいつでも逢えるように。ま、それだけじゃないけど(注12)
 そして、3月17日。僕は決意した。『DAIBAッテキ!!』のスタジオへ行こう。スタジオ観覧だ!
 早速ハガキを買い、ポストへ投函。果たして行けるかどうか…と思ったら、番組が終わるではないか。今度からは、『DAIBAクシン』という番組名になるらしい。で、今度は月から木曜日は5分番組で、金曜日が今まで通りの生放送で、あと、土曜日にも昼1時からやるらしいのだ。何という快挙。
 話を戻して、ハガキを送った次の日。『DAIBAッテキ!!』を見ていると、イベントがある事が発表された。
 それは、3月22日にチェキッ娘のバンドチーム・Chee's(チーズ)(注13)のさよならコンサートがあるらしいのだ。それはなんと、当日抽選100名!
 これはもう行くしかないでしょう!!早速22日に向けて支度をする僕であった。

 で、3月22日。
 少し早めに行ってジョイポリスで遊ぶかなんて考えて(注14)、午前8時に家を出る。
 着いたのは午前9時30分頃だった。強い北風がビュービュー吹く中、さすがにまだいないだろうなんて安心し、「おお!フジテレビだよ!本物だよ!」なんてはしゃいで玄関前まで行ってみると………いた。
 みんな、良く聞いてくれ。今回のコンサートって抽選なんだよ。そんなに早く来なくたっていいじゃない。思わずそう言いそうになった。しかも、外で待っているんだよ。北風小僧の勘太郎が大暴れしている中(笑)、みんな仲間と喋りながら待っている。
 さすがにそれはきついと思い、僕は列に並ばずに、フジテレビを見学する事にした。え~っと、そこのエスカレーターで7階に行ってみるか。
 ブー…(エスカレータの音)。
 7階に着いた……うっ!寒い!すごい強風。で、何があるのかな?…何?フジテレビ見学ツアー?500円?何だそりゃ?でも、500円払わないと何も楽しめない。いや、何もないのだ(注15)せこいぞフジテレビ!
 仕方なく500円を払って見学する事にしたが、これがつまらない。フジテレビの歴代の人気番組なんかのパネルが張ってあって、『おれたちひょうきん族』のパーデンネンの衣装(注16)なんかが飾ってある展覧会みたいなものだった。同じ券で例の球体展望台に行けるのだが、なにせ大混みだったので止めた。
 只今午前10時30分。う~ん暇だ。喫煙所でボーっとしていてもつまらないので、丁度その時開催していた『石森章太郎展』でやっていた『仮面ライダーBLACK』の映画を観る事にした。
 本編25分。多分『東映まんが祭り』のヤツだろう。……う~ん、懐かしい。個人的には初代『仮面ライダー』が見たかったのだが、やってなかった。
 さて、映画が終わり、行列はどうなってるのかなと見に行くと…げ!さっき20人位だったのが一気に70人位になってる!(注17)急いで列の最後尾に並ぶ。今の時刻は11時。はぁ。あと3時間も待つのか…。

 ………そして午後1時。
 僕の近くにひとりの男がやってきた。…こいつ、横入りする気か?しばらく様子を伺っていると、やはり横入りしやがった。ま、でも僕は何も言わなかった(注18)。横入りしても抽選だから意味が無いからだ。いや、もしかすると逆にこいつのお陰で僕が入れるかもしれない。そういう期待もあった。…別に小心者だから横入りを注意できなかったっていう訳でも(今回は)なかった。
 午後1時10分。列が動いた。どうやら整理券を配布するらしい。すると突然、例の横入り男が話し掛けてきた。「あの、これって何の列なんですか?」
 …おいおい!何も知らずに横入りしたのか!?一瞬そういう考えがよぎったが、僕は冷静に「この列はこういう列なんだよ」と答えた。
「そうですか。僕田舎者だから…」強風で良く聞こえなかったが、男はそんな事を言ったような気がする。
「ちなみに、チェキッ娘でオススメは誰ですか?」
 と、男は訊いてきた。なんだチェキッ娘知ってるじゃないか。じゃあ、さっきのあれは確認だったのか。僕はもちろん「みくにちゃんだね」と答えた。
「そうですか。僕は“モモコ”ちゃんなんですよ」その時はそう聞こえた。え?チェキッ娘に“モモコ”なんていたっけ?後にそれは“トモコちゃん”だった事に気付いた。そうか。チェキッ娘ID015の森知子か。なるほど。ま、悪くはないけど、やっぱりみくにちゃんが一番だね。
 それからその男とは仲良くなり、整理券を貰った後も一緒に話をしていた。
 男の名はイトイ ヤスヒロ。漢字が解らないので、カタカナにしておく。ま、名前は最後の別れ際に聞いたんだけどね。
 イトイ君は高校2年生。わざわざ見れるかどうかも解らないこのイベントの為に茨城から来たらしい。御苦労様。

 さてそんなこんなで午後2時。ついに抽選会が始まった。
 イトイ君と「はずれたらどうしよう」なんて話をしながら何十分も並んで待つ。これで外れたら、イトイ君可哀相だな。
 遂に、運命の時がやってきた。僕は、箱の中に手を入れる……ごそ…………ぺらっ…。
 紙には“あたり”の文字が…………………………………………………………………………………無い!
「はい、はずれ」係員が冷たい口調(注19)でそう言った。
 そ、そんな…。苦労してここまで来たのに…。
 愕然としながらもイトイ君を待つ。…遠目から見るとどうやら2枚引いてしまってもう一度やり直しをしているらしい。そして、イトイ君がやってきた。
「どうだった?」僕が訊く。
「…駄目だった。1回目2枚引いちゃって、その時1枚“あたり”だったんだけど(注20)……くやしかぁ(注21)…!!」
 イトイ君も僕と同じくらい落胆していた。いや僕以上か。なにせこの為に茨城から来たんだもんな。
 無念。2人トボトボとゆりかもめの駅へ向かう。駅でまたの再会を約束(注22)し、イトイ君と別れた。

 僕はこのまま帰りたくなくなり、フジテレビのちょうど裏側にある、“テレコムセンター駅”で途中下車した。平日のせいか、人があまりいない。
 くやしい。せっかくここまで来たのに。…絶対にまた来てやる!リベンジだ!そう決意し、僕は空き地に行き、正面に見えるフジテレビに向かって叫んだ。

「みくにちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 その数十分後、勝者達は満面の笑みでテレビに映っていたのは言うまでも無い。またその2日後。みくにちゃんが3月31日でチェキッ娘を脱退する事がわかった。ま、僕の情報収入が遅かっただけだが。みくにちゃんはソロデビューする。プロデュースはあの広瀬香美。やったー!ポスター手に入れよっと!

 ちなみに、スタジオ観覧権は落選した。

▲ フジテレビ。ちなみにこれは裏面(?)。ここで悲劇が繰り広げられた。ちなみに、この写真を撮影した場所で雄叫びを上げた(笑)。
▲ この娘が下川みくに。今見ればただの生意気娘であるが…(ビデオ『チェキッ娘 in DAIBAッテキ!!』より)
▲ チェキッ娘集合写真。ちなみにこれは下川みくに脱退後。(『チェキッ娘パーフェクトコレクション』トレーディングカードより)
▲ イトイ君のお気に入りだった森知子。解散後はなんとホリプロに所属し、熊切あさ美と五十嵐恵とで“METAMO”というグループを結成していた。(『チェキッ娘パーフェクトコレクション』トレーディングカードより)

<注釈>
(注1) PC-Engineでコナミから発売された恋愛SLGの金字塔であり、昨今の家庭用ギャルゲーブームの火付け役である。一部では「コナミが汚れたきっかけ」と嘆く人も。
(注2) パソコンでカクテルソフトから発売された18禁恋愛SLG+ADV。SaturnやPC-FXにも移植された。
(注3) 説明の必要も無いが、田中麗奈はサントリーから発売されているジュース“なっちゃん”のCMで一躍有名になった。しかし当時本人は街中で“なっちゃん”と呼ばれるのが非常に嫌だったらしい。
(注4) なにがおかしいんだ?
(注5) 結局出ませんでした…?
(注6) ヲタクの悲しいサガ…ではないか。
(注7) フジテレビで夕方に生放送でやっていたバラエティ番組。司会はドロンズ。『電波少年』での企画が終わった直後だった。まさにDAIBAッテキ(笑)。
(注8) 『DAIBAッテキ!!』から生まれたアイドルグループ。最終的には20人で構成され、一時期は「次世代“おニャン子クラブ”になるか?」と囁かれた事もあったが、番組終了と共に解散してしまった。その後一部はテレビでソロ活動を行っていたが、今ではほぼ全滅(笑)。下川みくにもその一人である。
(注9) 昔、渋谷で行われた『ときめきメモリアル』関連のイベント。僕が初めて行ったライブでもある。気が向いたら(思い出したら)このコーナーで紹介するかも。
(注10) これはもちろん執筆当時のもの。
(注11) 今でも持ってます。今見ると懐かしすぎて泣けます(笑)。
(注12) 別にやましい目的ではない。
(注13) 後に下川みくにを除いたメンバーでメジャーデビューした。この時のさよならコンサートはある意味、下川みくに脱退イベントだったのだ。
(注14) 何度も言うが、こういうイベントでこういった考えを持っていると、絶対後で泣きを見るぞ。
(注15) 他にも食堂やグッズショップがあるが、お金を払わないと楽しめないのには違いない。
(注16) みんな覚えてるかな?明石家さんまがやってたアレです。
(注17) 最終的には800人くらいになった。
(注18) すいません。ホントは小心者で文句が言えなかっただけです。
(注19) 無愛想でものすごい冷たい口調で、それが悔しさを更に倍増させた。
(注20) つくづく運のないイトイ君…。
(注21) 最高に訛ってた。
(注22) それ以来イトイ君とは会ってません。別れる時にメールアドレスを教えてもらったんだが、その時はインターネットを始めてなかったので、まったく意味がなかった。

※ 当時趣味で書いたコラムより加筆修正して掲載

(2005年3月22日 記事修正)
(2017年4月29日 記事修正)
(2020年12月20日 記事修正)
(2022年11月19日 記事修正)

[初出: 別冊 ケイゴノウォッチャー - ケイゴノリポート]